日本近代文学会東海支部 第46回研究回 鷗外文学の水脈

 春寒しだいに緩む頃となりました。皆様におかれましては、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、日本近代文学会東海支部第46回研究会として、鷗外研究会との共催によるシンポジウムを下記の通り開催いたします。万障お繰り合わせの上、是非とも御出席頂きますようお願い申し上げます。

【日 時】2013年3月30日(土)14:00〜18:00(予定)
【会 場】愛知淑徳大学星ヶ丘キャンパス42B教室(4号館2階)
http://www.aasa.ac.jp/guidance/map.html (「星ヶ丘駅」3番出口より徒歩3分)

※地下鉄東山線で「星ヶ丘」駅までお越し下さい。(「名古屋」駅より約21分・260円)全国交通系ICカード(SuicaPASMOICOCA等)がご利用いただけます。

【合同テーマ】 鷗外文学の水脈

パネリスト:檀原 みすず(大阪樟蔭女子大学
「日本絵画の未来」論争から、鷗外『うたかたの記』の成立へ
―美学の移入と啓発―

:林 正子(岐阜大学
鷗外による〈民族精神〉と〈国民文化〉の追究
―〈民族〉と〈民俗〉の関係性を視座として―

:大石 直記(明治大学
晩期鷗外における伝承性への視角
―〈模倣〉と〈創造〉の交差する場―
コーディネーター:金子 幸代(富山大学
:酒井 敏(中京大学


【シンポジウム主旨】

 2012年は鷗外森林太郎の生誕150年・没後90年に当たり、多くの記念行事・記念出版が企画・実現されたが、そうした動きは今年に入ってなお継続されている。文学は言うに及ばす、今・ここに在る我々の基盤を成す日本近代の文化全般に渉る、鷗外の影響力の大きさゆえであろう。東海支部では、その12年度の締めくくりに鷗外研究会との共催によるシンポジウムを行い、改めて鷗外という存在の内実と意味を問おうとする。
 鷗外の知性のありようは広く、そして深い。従って、時に矛盾を孕んでいるかに映る。例えば、戦闘的啓蒙活動の時代と呼ばれる明治20年代の活動は、日本の西欧化=近代化を目指したものと見えよう。しかし、文壇再活躍時代を迎えた40年代以降、歴史小説から史伝へと傾斜してゆく動きは、日本近代が失った・失おうとしている要素に目を向けた、初期とは逆の方向性に立ったものと見える。物事の両端を叩く―対抗関係にある二つの軸を立てて目前の事象を認識し、より根源的な世界観を打ち建てようとする―思考方が、鷗外の一生を貫いていた。当然、例示した時期においても、内実を詳細に追えば、こんな単純な要約では片付かない事態に幾つも直面する。鷗外に立ち向かう者には、具体としての言説を緻密に分析する能力と、言説の背景をなす思考の枠組を捉える問題意識とが、同時に求められるわけだ。
 詳細は「基調報告要旨」を読んでいただくとして、鷗外の初期から晩期まで、言説の具体的な分析から背景となる文化事象まで、広く深い、刺激的なご発表がうかがえそうである。質疑応答・討論を含め、鷗外を場として自らの根源を問いなおし、新たな問題意識を拓くシンポジウムとしたい。


【基調報告要旨】

「日本絵画の未来」論争から、鷗外『うたかたの記』の成立へ
― 美学の移入と啓発 ―
檀原 みすず

森鷗外は『うたかたの記』(「柵草紙」明治二三年八月)を発表する以前に、外山正一との間で所謂「日本絵画の未来」論争(明治二三年四月〜六月)を起こし、明治美術界に大きな波紋を呼んだ。ここで鷗外は原田直次郎の油絵《騎龍観音》を擁護する立場をとり、ハルトマン美学を武器に、外山画論に反駁しながら自家の美学論を展開している。日本に美学の素地がなかった時代、鷗外によって導入されたハルトマンの審美学的批評は用語と概念についての共通認識がなかったため、外山は沈黙し、美術界を巻き込んだ一大闘争へと発展した。
この論争と『うたかたの記』との関係性については、これまで指摘されているものの、作品の成立時期ともあいまって、未だ十分に検討されているとは言い難い。
うたかたの記』はミュンヘンを舞台に、原田直次郎をモデルとした巨勢が「ロオレライ」の画を完成させるまでの芸術創作のプロセスを描いた作品である。鷗外はこの小説をもって自家の美学論を表現したのではないかと考えられる。
「日本絵画の未来」論争に対する詳細な分析と評価を行った上で、『うたかたの記』の読解を通して、鷗外の美学思想が作品成立の要因をなしていることを論証したい。  


鷗外による〈民族精神〉と〈国民文化〉の追究
      ―〈民族〉と〈民俗〉の関係性を視座として―
林 正子

 ドイツ留学を閲した鷗外文学は、〈日本人の内面性〉、〈日本のエートス〉の考察と個人の人生意義追究とが結びついた精神の閲歴の所産であったと言える。今回の発表では、folklore、Volkskundeの要素を発揮するドイツ三部作、なかでもローレライ伝説を擁する『うたかたの記』(明治23・8)以降、とくに一連の歴史小説執筆へと歩みを進める明治末年から大正期の鷗外において、〈民族精神〉の追究と〈国民文化〉についての認識が深められてゆく軌跡を確認する。
 『かのやうに』(明治45・1)において、「神話」と「歴史」を分離するために「かのようにの哲学」Die Philosophie des Als-Ob(1911)に想到する、五條秀麿の精神的閲歴を描いた鷗外は、ドイツ留学時に秀麿が聴講した一講義名として、「民族心理学」を挙げる。
 「現代語で、現代人の微細な観察を書いて、そして古い伝説の味を傷つけないやうにしてみせよう」という、『青年』(明治43・3〜44・8)の小泉純一の志向は、たとえば『山椒大夫』(「中央公論大正4年1月)における「伝説」の小説化と対応する。執筆にあたり鷗外が依拠した山椒大夫伝説は、「伝説」として〈伝承〉された「口承文芸」であり、このような鷗外文学の創意に、〈民族〉と〈民俗〉の関係性の構築ないしは仮構によって国民性論議が展開されてきた、近代日本の〈エートス〉との対応を指摘することをめざしている。