日本近代文学会東海支部 第41回研究会案内

日本近代文学会東海支部第41回研究会を下記のとおり開催いたします。ぜひ御出席くださいますよう、御案内申し上げます。

       記

【日 時】2011年6月18日(土)14:00〜17:30
【会 場】愛知淑徳大学 星が丘キャンパス 1号館3階13D教室
http://www.aasa.ac.jp/guidance/map.html
【内 容】 
○研究発表 14:00より

川端康成『寒風』論−考証を中心として−
                    西村峰龍(名古屋大学大学院博士後期課程)

 「寒風」は先行研究や同時代評では、その題材と実録風の構成のために、川端と生前の北條民 雄との交流の記録としての側面に着目して読まれがちであった。その結果、江草恵子「「寒風論」 ―川端康成北条民雄」(『武庫川国文』35 平成2年3月)に見られるように、「寒風」は確た るテーマ意識、構成のもとで書かれたものではないと考えられてきた。
 しかし、川端は「寒風」で「癩は遺傳でなく傳染だといふことが、まだ一般によく徹底していな い」「癩は死人の骨からもうつるといふ迷信がある。」と述べている。川端が「寒風」で示したこ のような「癩」に対する見方は、現在でこそハンセン病に対する正しい知見とされているが、昭和 十年代には稀有な考え方であった。当時、「癩」は国家が強制隔離を必要とするコレラなみの伝染 病であると喧伝し、強制隔離を国策として推し進めていた時代であり、一方では、近代以前から続 く「癩」は「業病」であり、遺伝するものだという認識が人口に膾炙しており、ハンセン病は「コ レラなみの伝染病」でかつ「業病」であるという認識が一般的であった。社会全体に癩病者を忌み 嫌う意識が蔓延する中で川端は「寒風」を発表したのである。ここに、癩病者にたいする前近代的 ・差別的な政策や世相に抗する川端の姿が感じられないだろうか。本発表では川端が「寒風」を癩 病者にたいする差別的な政策や世相に抗する作品として執筆したことを実証する。

・ 『斜陽』受容についての一考察−没落華族に関する報道との関連性
                  服部このみ(金城学院大学大学院博士後期課程)
 
 昭和二十二年七月から十月にかけて『新潮』で連載され、同年十二月に刊行された太宰治『斜陽』 (新潮社)は、昭和二十三年度のベストセラー小説となり、「貴族や華族などで、しだいにおちぶ れていく人たち」(「斜陽族」『日本国語大辞典 第二版』小学館、平成十三年)を表す流行語〈斜 陽族〉を生み出した。このことから『斜陽』は当時、没落する華族の物語として、熱狂的に受容さ れたと考えられる。
 しかし、『斜陽』本文を見てみると、華族という設定を用いつつもその実体は描かれていない。 それどころか太宰は、階級の設定を意図的に曖昧にしているように思われる。
 そうであるにも関わらず、なぜ『斜陽』は当時旧華族階級と交流する機会がほとんどなかっただ ろう一般の読者にも没落する“華族”の物語として受け入れられたのだろうか。
 今発表では、戦後報道された特権階級の没落に関する事件の分析を通して、没落華族に関する報 道が積極的に『斜陽』と結び付けられていくことで、曖昧な階級設定を用いていた『斜陽』が没落 する“華族”の物語として認識されていく過程を追っていきたい。
      
  ○総会 16:00より