日本近代文学会東海支部 第40回研究会案内

日本近代文学会東海支部第 40 回研究会を下記のとおり開 催いたします。ぜひ御出席くださいますよう、御案内申し上げます。


【日 時】2011 年 3 月 20 日(日) 14:00〜

【会 場】愛知淑徳大学 星が丘キャンパス 1号館 5階 15A 教室
  http://www.aasa.ac.jp/guidance/map.html
【内 容】

 ○研究発表  ※コメンテーター: 酒井敏(中京大学)


・ 「「無頼派」と「食べること」の表象—太宰治織田作之助を中心に—」
    湯浅達也(名古屋大学大学院博士前期課程)


 占領期と呼ばれる時代を生きた人々にとって、最も切実な問題のひとつは食べることであった。 一方で、「無頼派」と呼ばれ、当時の世相を反映した作品を多く書いた、と言われる作家たちでさ え、この切実さを十分に書くことができたとは言えない。それはどういうことなのだろう?本発表 では、太宰治織田作之助のテクストを中心に扱いながら、「無頼派」と呼ばれる彼らが共有した 問題意識を、「食べること」から分析し、「無頼派」の新たな側面を描いてみたい。


・「太宰治中期作品の研究 —「新樹の言葉」論を視座にして—」
   高塚 雅(愛知高校非常勤講師)


 太宰治新樹の言葉」(『愛と美について』竹村書房、昭和十四年五月、書き下ろし)は、もと 幸吉兄妹の生家であった望富閣の炎上する様を、幸吉兄妹と語り手「私」とが城跡の広場から見下 ろす印象的なシーンで終わる。焼ける望富閣を見て「私」は震えがとまらなくなるが、一方の幸吉 兄妹は微笑してそれを見下ろしている。燃え上がる望富閣とそれを穏やかに見つめる幸吉兄妹の様 子に、「私」は震えながらも「君たちは、幸福だ。大勝利だ」と思うのであるが、望富閣が焼ける ことがどうして幸吉兄妹の「大勝利」になるのであろうか。本発表では、この解釈として望富閣に 火をつけたのは幸吉であり、そのことを「私」は半ば確信を抱きながら語っているという読解を提 出する。本作品は語り手「私」の回想で進行していくが、「私」はかなり意識的に語りを操作して いる。そこで、「私」の語りを検証することで秘匿された出来事を探り、「私」の再生への決意が 幸吉兄妹の強い意思を受けてのものであることを説明する。